すっぱいぶどうの心理(理論)【失恋のショックから立ち直る方法】~傷つきやすい心を守るための働き「防衛機制」について~
イソップ物語の「すっぱいぶどう(きつねとぶどう)」
キツネの心理を描いたこのお話は、人間心理を描いてもいます
キツネは、たわわに実った美味しそうなぶどうを見つけます
ぶどうは、枝からぶら下がった高い位置にありました
キツネはどうしても食べたいから必死で飛び跳ねます
ですが、どんなにがんばっても、その美味しそうなぶどうを食べることができませんでした
そしてキツネは言うのです
「あんなぶどう、どうせすっぱくてまずいに決まってる。だれが食べてやるか!」
そう負け惜しみを言って、キツネはその場を去りました
この話でキツネは、食べてないのだから味を知るはずがないのに、そのぶどうをすっぱくてまずいものだと決めつけています
それは、そのぶどうが本当にすっぱいものだと分かっているわけではなく、どうがんばっても自分に手に入らないものだから、すっぱくてまずいものであってほしいと望んでいるのです
心の奥でそう望んでいるから、すっぱくてまずいものだと思い込んでしまっている
手に入らなくて悔しいから、すっぱいものに違いないと思い込んで、なんとか自分を納得させてその場を去ったのです
人間心理も同じです
信じたいことを信じるようにできているのです
手にすることのできないものは、手にすることのできない自分を慰めるために、ひどいものであってほしいのです。どうしても欲しいのに手に入らなくて悔しいから、悪いものだと思い込みたいのです
すっぱいぶどうの心理とは逆に、甘いレモンの心理もあります
簡単に手に入るレモンを甘いと思い込んで、妥協している自分を納得させる心理のことです
どうしても付き合いたかった大好きな人にフラれてしまったとき
どうしても入りたかった大学に落ちたとき
どうしても入りたかった会社からお祈りメールが送られてきたとき
そんなとき、欲しかったぶどうがすっぱく見えます
自分の心を守るために ショックで心が壊れてしまわないために
そのぶどうが甘くておいしいものだなんてどうしても信じたくありません
人間関係、特に恋愛でこの「すっぱいぶどうの心理」は働きやすいです
好きな人から拒絶され、自分を受け入れてもらえないとき、相手を低く悪く見ることで、ショックを和らげようとします
かわいさ余って憎さ百倍といいますね
手に入らないことで逆上するストーカー心理も同じ理屈ですね
好きで大事にしたいと思っていた人を、憎悪の対象として見るようになる
自分を受け入れてくれるかどうかで、見方が大きく変わってしまう
ストーカー行為に及べば犯罪者ですが、心の中で手に入らないぶどうを悪く言って心の安定をはかるだけなら、だれの迷惑になることでもないですし、まったく問題ありません。心がそれを必要としているなら、そのときはそうしていいんです。
そうすることにはそうするだけの理由があるんです。フラれてふった相手を悪く思いたがるということは、それだけ強いショックを受けているということです。ならばそのときは、その防御本能に従って、ダメージを軽減しましょう
自己評価が低い人ほど、このすっぱいぶどうの心理が働きやすく、周囲の人々や物、環境を、悪いものに違いないと思い込みがちです
自分は無力で何も手に入れることができないと思っていればいるほど、まわりのぶどうがすっぱいものに見えてきます
身のまわりすべてについて、評価が低くなります
自己評価は他者評価とつながってる。密接な関係を持っているんです
ネットでは本心を出しやすいですよね
たまに、ネット上で異性を激しく叩いてる人がいますね
その人も、すっぱいぶどうの心理で説明できます
本当は異性を強く欲しているんです
でも、モテないから、恋愛関係に発展させる力がないから悔しくて、そうであってほしいと望む。
手に入れることができない異性を醜いものだと思い込みたがっている
芸能人についてネットであれこれ話してる場に出没して、わざわざ「興味ない」とだけ書き込みに来る人たまにいますよね
書き込みに来る時点でめちゃくちゃ興味あるじゃんと思いますけど、あれも悔しさが原動力ですよね。要は嫉妬です
自分にはないものを持っているからこそ、悔しくて何か言わずにはいられない。皆から興味を持たれるその芸能人に嫉妬し、興味を持たれない人であってほしいと望む
ネット上で不満を垂れ流してる人については、人間は醜いと考えるよりも、人間の自己実現欲求はそれほどまでに強いのだなと、考えるようにしています。
自己実現欲求が満たせてないから、他人を悪く言うことで気晴らしする必要があるんでしょう
心理学者のマズローも、自己実現欲求こそが、欲求のピラミッドの頂点に存在してると主張してますしね
自己実現欲求や承認欲求がない人間なんているはずがないんです
人はみんな、当然思い通りの人生を歩みたいと思っていて、でもそれは実現させることが難しい。だから、自己実現を妨げる人や物や環境を悪く言うことで、気を紛らさなくてはやってられない
望み通りの人生を歩めている人は、そう多くないでしょう
なにかしら不満があって、手に入れたくても手に入れられないものは、キツネが高い場所にあって取りようがないぶどうをすっぱくてまずいものだと思い込むように、評価を厳しくして手に入らない悔しさを紛らわせようとし、自分には手に入らないものを容易に手に入れている人に対しては嫉妬の炎を燃やします
心の安定をはかるための働きを、心理学用語で「防衛機制」と言います
すっぱいぶどう理論は、その防衛機制の内の「合理化」に当たります
すっぱいぶどうの心理は、やはり恋愛が上手くいかなくなったときに働きやすいです
認められないことや、必要とされないことはつらいです
そして、その相手が大好きな人なら、なおさらつらいことです
失恋のショックはとてつもなく強くて、死にたくなる場合だってあるでしょう
失恋して苦しいときに、心の中で自分をふった相手を悪く思うのは仕方ないことなんです。心の痛みを緩和するための薬のようなものです
自分の心の中で思うだけならまったく問題ないです
人間心理として自然なことで必要なものです
強いショックで心が壊れてしまわないためには、手に入らないぶどうをすっぱくまずいものだと思ったってかまわないのです
ですが、あまり口に出しすぎればフラれたからって相手を悪く言ってるみっともない人
になってしまいます
失恋のショックは、自分が強くなるか、時間が忘れさせてくるのを待つしかありません
それに、失恋のショックは、必ずしも悪いことだとは思いません
もちろん悲しい思いをしたくはありませんが、悲しさや悔しさをバネに頑張れることだってあると思います
恋愛しているときは恋愛がすべてだと人は思い込みがちですが、人生には恋愛以外にも楽しいことや価値のあることがたくさんあります
じっと耐え、ぶどうをすっぱいと思い込んでいれば、苦しみはいつか去って、また新しい良い人や楽しいことを見つけられるはずです、きっと